植物をひとつ枯らすと、部屋がちょっと広くなる。
その空きスペースを見るたびに、何かが足りない気がした。
最初に買った観葉植物は、もういない。
リビングの窓際で、たしかに2ヶ月くらいは元気だった。
でもある日、ふと見たら、葉が黄色くなっていた。
「なんか変かも」と思った時には、もう手遅れだった。
自分では“明るい場所”に置いてたつもりだったけど、
植物にとっては、違ったのかもしれない。
直射日光じゃなくてもいいけど、光が足りないと、少しずつ静かにしおれていく。
「人間にとっての明るさ」と、「植物にとっての明るさ」って、
たぶん少しズレてるんだと思う。
気づいた時には、その差が枯れた葉の色になっていた。
水やりのタイミングも、ずっと迷ってた。
毎回、土を指で触って、「たぶん、まだ大丈夫」って判断してた。
でもそれが、正しかったのかはわからない。
ある日、元花屋の母に「割り箸をさすとわかりやすいよ」と言われた。
もっと早く知ってたら、って少しだけ思ったけど、
そういうことはだいたい、後から言われるものだ。
唯一、うまくいってた気がするのは霧吹きだった。
百均で買った、長く噴霧できるタイプ。
前みたいに何十回もシュッシュ押さなくていいのが、ちょっとだけ快感だった。
でも使っているうちに、床がびしょびしょになっていった。
うちの猫が調査に来て、水をぺろぺろ。
「あ、まずいな」と思ったけど、
対策を考える前に、植物の方が先にダウンしてしまった。
それでも、無駄じゃなかったと思ってる。
植物は、癒しでもインテリアでもなく、
“暮らしのリズム”をそのまま映す生き物だった。
ちゃんと見ていないと、ちゃんと枯れていく。
今の私はたぶん、ちゃんと見れてなかった。
でもきっと次は、もう少し気づける気がしてる。
だからまた、いつか。
あのスペースに、あたらしい緑が戻る日を想像してる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
枯れてしまったけれど、それがすべてじゃなかった。
はじまりは、こんなふうに植物を迎えた日から。
#間に合わなかったお手入れ
#割りばしと遅すぎた正解
#植物はちゃんと枯れていく